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65歳になって
65歳になって
私もこの4月で65歳になった。2月ごろまず堺市からお出かけ応援パスの案内が届いた。
65歳以上の人間を対象に、1000円の手数料を支払うだけで、市内のバス代・ちんちん電車の料金が1回あたり100円で乗車できるカードを送付するが、申し込むか否かの案内が届いた。
私自身、余りバスやちんちん電車を利用する機会は少ないものの面白そうなので申し込んだ。
1か月ほどで届き、65歳になって1回だけ使用した。降車時に料金を支払う。100円玉1枚で済むことに、特に感慨は起きなかった。
その後、堺市から今度は介護保険証が届いた。「あなたは前期高齢者の仲間に入りましたよ。」と言われているようで、今度は、ちょっぴり感傷的な気持ちが起きた。
介護事業に従事している関係から、介護保険証が如何に重要か、介護サービスを受けるためには必須な書類である介護保険証が、私にも届いたことにお出かけパスにはない気持ちが生じた。利用者の方の中にも、同年齢の方も何人かおられ、何時、私も介護サービス提供者から受給者になるかならないか、判らない状況を改めて認識した次第である。
そのような思いを抱いてるときに、またまた倉敷の同級生から、「○○君を励ます会」「同窓会準備会」等々、名目は判然としない何時もの「飲み会」のお知らせが届く。勿論、一も二もなく参加する旨返事をする。その後日時が決まり、場所もメンバーもいつもの如くとの連絡が入る。
今回は久しぶりに東京からS君が参加すると聞いた。S君とは山岳部が一緒で、他の部員たちと共に、県下の山を楽しんだことを思いだす。また、高校2年の時には、部員6名、顧問2名で上高地から入り、横尾にベースキャンプを設置して常念岳・槍ヶ岳・奥穂高岳を登った仲間の一人である。また、山以外でも彼の所属する社会人のサッカーチームに参加させてもらい、何回か試合にも出させてもらった思い出もあり、久闊を叙したいと思いが募る。
また、彼は前々日には倉敷に来ていて、前日の土曜日には山岳部の仲間たちと共に、高校時代よく登った熊山登山を楽しむという。当方、脚力には全く自信がなく山登りなど論外で、階段など避けて通る方で、山登りをするS君たちを羨ましく思いつつ、改めて65歳を実感し、これが老いというものかと、老いをを痛感した次第である。
また、65歳になった自分という人間が特に、身体状況がどうなっているか、把握しなければ今後のスタートが切れないと思い始めてもいた。
そんなこんなの中O君の言葉を思い出した。O君は小学校の同窓生という以上に、親しくつきあった幼馴染。中学は別になったが高校でもまた一緒、同窓会や最前の飲み会のメンバーでもある。
今は岡山市北区で高松整形外科脳外科医院を開業して院長をしている。
今年の1月に行われた小学校の同窓会の三次会の折、「一度脳ドックを受診しないか、頭を見せに来ないか」と。医者の目から見て、当方のどこかが気になるのか、そのような言葉を頂いていた。
友達の気安さから、今回の倉敷行を良い機会として、O君に電話をし早速予約する。
飲み会の次の日、予約した時間に行くと、早速身体測定、問診から開始、脳CT撮影に移る。撮影後すぐに画像診断、12カットの脳断面が映る。一言「異常なし」「思ったよりきれい」と、どんな反応をしたらよいのか途方に暮れるような診断がでる。しかし、暫く当方を観察していたO君。「頸のレントゲンをとる。」直ぐにレントゲン室に移動。3方向からの撮影。撮影後、暫時待合室で待機。その間2~3人の患者さんが院長室に入り、治療を受けている様子。O君結構忙しそう。頸のレントゲン結果が出る。「頸の第5頸椎。進行すると脊柱管狭窄症になりかねない。要するに、第5頸椎の椎間板が潰れかけている。」という。
今後、転倒とか、首に急激な負荷を掛けないよう注意しなければならない。と、懇切丁寧な診断の説明を受ける。
O君の親切はまだまだ続き、今日は大阪へ帰るという私を「電車の時間に間に合わないから急げ。」と駅まで送ってくれた。まだ診察時間内でもあり、患者さんを数人待たせて・・。私自身の身体状況の把握のための診察結果にも満足したし、何より変わらぬO君の友情、親切心にも大いに感謝した一日であった。
65歳という年齢、老いというキーワードにあまりにも拘りを持ち続けた結果、自分自身を見失いかけていたように思う。
友人たちとの出会いを通して、大事な事を思い起こすことが出来た。
「まだまだ」という気概だけは持ち続けなければならないと思っている。
私もこの4月で65歳になった。2月ごろまず堺市からお出かけ応援パスの案内が届いた。
65歳以上の人間を対象に、1000円の手数料を支払うだけで、市内のバス代・ちんちん電車の料金が1回あたり100円で乗車できるカードを送付するが、申し込むか否かの案内が届いた。
私自身、余りバスやちんちん電車を利用する機会は少ないものの面白そうなので申し込んだ。
1か月ほどで届き、65歳になって1回だけ使用した。降車時に料金を支払う。100円玉1枚で済むことに、特に感慨は起きなかった。
その後、堺市から今度は介護保険証が届いた。「あなたは前期高齢者の仲間に入りましたよ。」と言われているようで、今度は、ちょっぴり感傷的な気持ちが起きた。
介護事業に従事している関係から、介護保険証が如何に重要か、介護サービスを受けるためには必須な書類である介護保険証が、私にも届いたことにお出かけパスにはない気持ちが生じた。利用者の方の中にも、同年齢の方も何人かおられ、何時、私も介護サービス提供者から受給者になるかならないか、判らない状況を改めて認識した次第である。
そのような思いを抱いてるときに、またまた倉敷の同級生から、「○○君を励ます会」「同窓会準備会」等々、名目は判然としない何時もの「飲み会」のお知らせが届く。勿論、一も二もなく参加する旨返事をする。その後日時が決まり、場所もメンバーもいつもの如くとの連絡が入る。
今回は久しぶりに東京からS君が参加すると聞いた。S君とは山岳部が一緒で、他の部員たちと共に、県下の山を楽しんだことを思いだす。また、高校2年の時には、部員6名、顧問2名で上高地から入り、横尾にベースキャンプを設置して常念岳・槍ヶ岳・奥穂高岳を登った仲間の一人である。また、山以外でも彼の所属する社会人のサッカーチームに参加させてもらい、何回か試合にも出させてもらった思い出もあり、久闊を叙したいと思いが募る。
また、彼は前々日には倉敷に来ていて、前日の土曜日には山岳部の仲間たちと共に、高校時代よく登った熊山登山を楽しむという。当方、脚力には全く自信がなく山登りなど論外で、階段など避けて通る方で、山登りをするS君たちを羨ましく思いつつ、改めて65歳を実感し、これが老いというものかと、老いをを痛感した次第である。
また、65歳になった自分という人間が特に、身体状況がどうなっているか、把握しなければ今後のスタートが切れないと思い始めてもいた。
そんなこんなの中O君の言葉を思い出した。O君は小学校の同窓生という以上に、親しくつきあった幼馴染。中学は別になったが高校でもまた一緒、同窓会や最前の飲み会のメンバーでもある。
今は岡山市北区で高松整形外科脳外科医院を開業して院長をしている。
今年の1月に行われた小学校の同窓会の三次会の折、「一度脳ドックを受診しないか、頭を見せに来ないか」と。医者の目から見て、当方のどこかが気になるのか、そのような言葉を頂いていた。
友達の気安さから、今回の倉敷行を良い機会として、O君に電話をし早速予約する。
飲み会の次の日、予約した時間に行くと、早速身体測定、問診から開始、脳CT撮影に移る。撮影後すぐに画像診断、12カットの脳断面が映る。一言「異常なし」「思ったよりきれい」と、どんな反応をしたらよいのか途方に暮れるような診断がでる。しかし、暫く当方を観察していたO君。「頸のレントゲンをとる。」直ぐにレントゲン室に移動。3方向からの撮影。撮影後、暫時待合室で待機。その間2~3人の患者さんが院長室に入り、治療を受けている様子。O君結構忙しそう。頸のレントゲン結果が出る。「頸の第5頸椎。進行すると脊柱管狭窄症になりかねない。要するに、第5頸椎の椎間板が潰れかけている。」という。
今後、転倒とか、首に急激な負荷を掛けないよう注意しなければならない。と、懇切丁寧な診断の説明を受ける。
O君の親切はまだまだ続き、今日は大阪へ帰るという私を「電車の時間に間に合わないから急げ。」と駅まで送ってくれた。まだ診察時間内でもあり、患者さんを数人待たせて・・。私自身の身体状況の把握のための診察結果にも満足したし、何より変わらぬO君の友情、親切心にも大いに感謝した一日であった。
65歳という年齢、老いというキーワードにあまりにも拘りを持ち続けた結果、自分自身を見失いかけていたように思う。
友人たちとの出会いを通して、大事な事を思い起こすことが出来た。
「まだまだ」という気概だけは持ち続けなければならないと思っている。
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