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我が青春に悔いなし

「どういう青春を過ごしたかでその人の人生は決まるのではないかと思う。」(矢内原忠雄)
 東京大学の学長であった矢内原氏の言葉である。矢内原忠雄氏は、内村鑑三の教えを汲むキリスト教徒であり、聖書に基づき無教会主義を唱えた人である。

 学生時代の先輩から電話が入る。要件は、大阪に来たから一杯飲もう。ということだった。早速、大阪近在の連中にも声を掛ける。早速、ミニミニ同窓会に相応しい,美味しい肴を提供する店?も予約する。学生時代が懐かしく思い起こされる。K納先輩は、学科も同じ工学部土木工学科であり、且つ何と言っても同じクラブの先輩として、可愛がってももらい、厳しく指導もされた。

 我々が青春という一時期を過ごした街は、博多と小倉の中間地点に位置し、宗像大社にも近く、直方、田川といった炭鉱町にも近かった。昭和40年台半ばの時代背景もあり,博多・小倉の歓楽街を控え、また八幡・戸畑の重工業地帯特有のエネルギッシュな雰囲気に囲まれた、とても学生に相応しい街とは無縁の様相を呈した街であった。半ば猥雑で侠気(狂気?)が、まかり通る時代でもあり、そのような街でもあった。
 
 そこで教養課程の2年間過ごした。専門課程に入る3回生からは東京にある本学に移動するシステムを持ったその大学は、全国から学生を集めやすくする為、同様の教養課程のみの校舎を札幌、湘南にも持っていた。専門課程になると、土木工学科だけで1学年400名の同級生となる。同級生と言っても顔も知らぬ人が多い。

 クラブ活動に明け暮れた2年間であった。本学とは違い福岡校舎は歴史的にも浅く、学校として一丸となって何かをするということが無く、70年安保に投ずるような学生もなく、怠惰で安逸な学生生活を送っている学生が多かった。

 K納先輩やN村先輩を中心に、6名の先輩方が一つのサークルを立ち上げた。そのサークルの目的は、「有意義な学生生活をエンジョイする。覇気のある学生生活を送る。福岡校舎に新しい風を吹かせる。」であった。先輩たちはそのために応援団という組織を立ち上げた。幸い、本学には歴史も伝統もあり、多くの部員を抱える本格的な応援団が存在した。応援団活動に必要な演舞、団歌等は本学の応援団から指導を受け、引き継ぐことが出来た。

 当初はサークルであったがその後の活動や部員の増加が認められ、正式なクラブとなった。私も多くの仲間と共に応援団に在籍し、空手・野球・サッカーの試合の応援は言うまでもなく、軽音サークルの連中とタイアップして、ダンスパーティなどを企画・運営したこともあった。先輩方がサークル結成時の目的であった「有意義な学生生活をエンジョイする。覇気のある学生生活を送る。新しい風を吹かせる。」は、我々において達成できたと大いに自己満足した。兎にも角にも学問をするという学生の本分にはほど遠い学生生活を送った。ただ、2年の間に多くの大切な仲間を得た。充実した2年間であった。また、先生方の中にも、今に至るも仲良くさせていただいている方も居られる。以前に、このブログで書いた、私にとって恩師の一人である森先生とのからみもこの2年の間の大切な経験である。

 冒頭の矢内原氏の言葉を私なりに解釈すると、私の青春とは大切な仲間を得る期間であり、それは何も大学時代に拘わらず、現在も進行中のことでありうる。人との出会いを大切にしたいと今更ながら思っている。

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【名前】
おっちゃんヘルパー
【年齢】
65歳
【一言】
≪絆≫を大事に。
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