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日めくり
私の机の横に、大きな日めくりがぶら下げてある。土建屋に勤める友人のN君から、昨年末頂いた。 
土建屋の日めくりらしく、下1/3は自社の保有している大型重機の写真や広告で、上2/3に暦注が書かれている。
暦注には、日付、七曜(曜日)、二十四節気などの科学的、天文学的な事項や年中行事が書かれ、中断には十二直、選日、二十八宿、九星、などの非科学的、迷信的な事項が書かれている。
朝、机に座り、日めくりを繰るのが日課になっている。
今日2月4日は立春。日めくりには、「冬の陰気に閉ざされた万物に、春の陽気が立ち初める日」と書かれている。
私は、この「立春」という言葉が好きである。
まだまだ、寒い日は続くが立春が過ぎれば、どことなく春めいた気持ちがする。
個人的にも何となく活動的になりそうな気がする。今年のような寒さを痛感していると尚更のように思える。
今の私の心境を見事に表している詩がある。江戸時代に日田で咸宜園(カンギエン)という私塾を起こした広瀬淡窓という方の詩である。
客冬は雨雪多く、新歳は尚氷霜あり、
道ふことを休めよ 梅花晩しと、終にまさに艶陽に綻ばんとす
<昨年の冬は雪や雨が多かった。新年になっても氷霜があって厳しい寒気が続いている。だが梅の花が咲くのが遅いと嘆くことはない。間もなく暖かな日差しに綻びようとしているのだから。>
葉室 麟という作家が書いた「霖雨」の中に引用されている。
小説の帯には、凛として生きる。たとえ雨が降り続こうとも。と書いてある。
冬の寒さが無ければ育たない植物もある。冬の厳しさが無ければ春の暖かさも判らない。
我々の拙い生き方の中でも、幾度となく冬の寒さを覚えるような試練を経験した。また、それを乗り越えてこれた自負もある。そこには、必ず春が来る。必ず雨も上がる。という期待があればこそできたことである。
「凛とした生き方」にはほど遠い生き方かもしれない。ただ、これからも誠実に生きていこうと思っている。

土建屋の日めくりらしく、下1/3は自社の保有している大型重機の写真や広告で、上2/3に暦注が書かれている。
暦注には、日付、七曜(曜日)、二十四節気などの科学的、天文学的な事項や年中行事が書かれ、中断には十二直、選日、二十八宿、九星、などの非科学的、迷信的な事項が書かれている。
朝、机に座り、日めくりを繰るのが日課になっている。
今日2月4日は立春。日めくりには、「冬の陰気に閉ざされた万物に、春の陽気が立ち初める日」と書かれている。
私は、この「立春」という言葉が好きである。
まだまだ、寒い日は続くが立春が過ぎれば、どことなく春めいた気持ちがする。
個人的にも何となく活動的になりそうな気がする。今年のような寒さを痛感していると尚更のように思える。
今の私の心境を見事に表している詩がある。江戸時代に日田で咸宜園(カンギエン)という私塾を起こした広瀬淡窓という方の詩である。
客冬は雨雪多く、新歳は尚氷霜あり、
道ふことを休めよ 梅花晩しと、終にまさに艶陽に綻ばんとす
<昨年の冬は雪や雨が多かった。新年になっても氷霜があって厳しい寒気が続いている。だが梅の花が咲くのが遅いと嘆くことはない。間もなく暖かな日差しに綻びようとしているのだから。>
葉室 麟という作家が書いた「霖雨」の中に引用されている。
小説の帯には、凛として生きる。たとえ雨が降り続こうとも。と書いてある。
冬の寒さが無ければ育たない植物もある。冬の厳しさが無ければ春の暖かさも判らない。
我々の拙い生き方の中でも、幾度となく冬の寒さを覚えるような試練を経験した。また、それを乗り越えてこれた自負もある。そこには、必ず春が来る。必ず雨も上がる。という期待があればこそできたことである。
「凛とした生き方」にはほど遠い生き方かもしれない。ただ、これからも誠実に生きていこうと思っている。
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