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愛しい「もも」

 例年の如く11月も下旬になると、気もそぞろで何となく慌ただしくなる。

 早々と9月には郵便局からは年賀状の予約、スーパーからは歳暮のDMが喧しい。忘年会や新年会のスケジュール調整のメールが入るようにもなってきた。時間の過ぎようが急過ぎる。「白駆の隙を過ぎるがごとし」の喩え通り、時が駆け抜けていく。

 相変わらず、喪中挨拶の葉書が届き始める。大学時代苦楽を共にした同級生H君、サラリーマンとなって1年目から大変お世話になり、このブログでも紹介させていただいたS先輩の訃報は心が折れそうになる。
 
 そんな中、我が家でも哀しい出来事があった。愛犬「もも」が死んだ。闘病1か月、あまりにも早い別れであった。ミニチュアダックスの雌、10歳11か月の命であった。肝臓がんに侵されていたのである。思い返してみると、予兆は2~3か月前ぐらいからあったように思う。

 まず,階段の上がり降りが出来なくなった(抱きかかえて上下するようになり、甘えているのかなと思っていた)また、所構わずいたるところで糞尿をするようになった(もともとトイレの躾はダメな方なので、気にもしてなかった) 
 1か月前から腹水がたまるようになって慌てて、動物病院に駆け込んだ。腹水を抜くと元気になり、「様子を見ましょう」というドクターの言葉に全てを委ねて、投薬治療を続ける。
 3週間が経ち、また腹水が溜まってきた。腹水を抜く。今度は抜いた穴が中々塞がらない。薬を変え投薬治療を継続。2日目ようやく塞がり、元気を取り戻す。
 2週間が経過、またまた腹水が溜まってきた。病院に連れて行くと、入院して加療するよう言われる。
 
 その日の夕方ドクターから、急遽迎えに来るよう電話が入る。「ご家族とご一緒の方が、ももちゃんが一番安心する」と言われ連れて帰る。朝から比べて、一段と衰えた様子の「もも」を見て、思わず抱きしめてやる。
 
 事態が最悪になったと思った。最早足腰も立たず、毛布に包まわれたまま「もも」は家族一人ひとりと別れを惜しんだ。子供たちも孫たちも全員で「もも」を見送った。11月17日23時過ぎ眠るように死出の旅路に旅立った。

 家族となって8年、「もも」は我が家に<癒し>を<慰め>を与えてくれる大きな存在であった。亡くなって数日が経つ。
 
 家に戻りドアを開ける。元気よく吠えて出迎えてくれる事もない。顔から頭から舐められ甘えられる事もない。共に布団に入って寝る事もない。ペットロス症候群には罹ってないと思うが、寂寥感にさいなまれる。

 イギリスの詩人テニソンの追憶の詩の一節を思い出す。
 この詩は愛するご子息を交通事故で亡くされた友人に送った手紙にも引用させていただいた。

 君への思いは昔の想い出につながり、 君への思いは今も広く激しい。
 君は神と自然に抱かれているが、君への思いは私の中で更に強まるようだ。君は彼方に逝ったが、何時も身近に感じる。君は私とともにあり、喜びをわかつ。君の声に囲まれて、私は栄える。君を失うことはない、たとえ私が死のうとも。

 「もも」は私が生きている限り、何時までも私の心の中に永遠に生き続けてくれる。大事な友でありパートナーだ。愛しい「もも」永遠に!
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プロフィール

【名前】
おっちゃんヘルパー
【年齢】
65歳
【一言】
≪絆≫を大事に。
ヘルパーステーション
ケアプランセンター
お結び
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