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私の止り木考

昨日、前の勤務先の同窓会があった。
先輩各氏に久しぶりにお目にかかった。
どこからそのパワーが出るのか不思議なぐらい
皆様エネルギッシュな方ばかりである。
最高齢は76歳の先輩で平均年齢65歳(?ぐらい)の会で、
私などは小僧っ子扱いである。

同じ釜の飯を食った先輩各氏との会話は、瞬時に出会った
時に戻る。苦労話に花が咲く。が意外な話もたまに聞くこと
もある。今だから・・・という話も聞く。いつかは、この
ブログで書くこともあろう。

閉会後、今度は前の勤務先の現役のメンバーが仕事帰りの
慰労会に参加した。今度は平均年齢45歳の会である。

この現役メンバーとは、退職しても常に私のことを気に
かけてくれ、折に触れ声をかけていただき、集い懇親して
いる。今日も私が、久しぶりに大阪に出かけると聞き、
同窓会の終わり頃を目がけて連絡してきたのである。

同窓会が中華で、居酒屋が和風雑多料理で、十分お腹も
満たされている状態であったが、いつもの習性で大阪に
出た時は、往々にして立ち寄る店に、昨日も立ち寄った。

現役のメンバーもいつもの様に一緒に行く。

言わば私の止り木的店である。
サラリーマン時代から30年来の店である。
なぜ立ち寄るのか?

司馬遼太郎氏が梼原街道という書の中に、高知の居酒屋での
感慨を書かれていた以下の文章が、私の止り木的店に対する
思いを的確に言い表しているので、引用させていただく。

「飲み屋というものが、いかに有難い存在かということを
知っている。画家が自分の絵を並べて個展をするように、
飲み屋というものは、あるじ自身の人間の個展なのである。
 人はその人間に触れに行く訳で、酒そのものを飲むなら
自動販売機の前で、椅子を置いて飲んでいればいいのである。
しかも、飲み屋というものの存在理由行けば、あるじがそこに
必ず居るということだろう。友人をその家に訪ねれば居ないこ
ともある。居てもその静謐を騒がしてしまう。親戚をたまに
訪ねたいが、結局は煩わせる。その点飲み屋は勘定がたまら
ない限り嫌な顔をされない。ひょっとすると、飲み屋は高級
クラブなどを除いては、渡世であっても商売ではないかもし
れない。この辺は難しい。飲み屋のあるじは友人親戚の代理
者であるという点においては公益事業人だが、かといって
商売以外の何物でもない。しかし、商売気があらわに顔に出
ると、客は仰天し、錯覚から目を醒ましてしまうのである。」





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プロフィール

【名前】
おっちゃんヘルパー
【年齢】
65歳
【一言】
≪絆≫を大事に。
ヘルパーステーション
ケアプランセンター
お結び
お気軽にお問い合わせください。

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