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おでん

おでん
 私が、初めて料理というものを作ったのは、
44年前の、中学2年生の今頃10月中ごろの
事だった。「おでん」を作った。

 私の中学二年生は悲惨な思い出の1年であった。。
 5月に母親が癌で亡くなった。3月初め「風邪」
をこじらせ肺炎になり、あっという間に子宮癌
を併発、最後は結核病棟で亡くなった。
 闘病3か月弱、あまりにもあっけない幕切れで
あった。

 そして、母親が亡くなったことで、横浜の伯母の
処に行っていた祖母が、私たちの世話をするため、
急遽帰ってくれた。その祖母も、夏休みに広島の
伯母の処に遊びに行き、そのまま不帰の人となった。
 
 私たちの世話を急にするようになり、疲れと心労
で肝臓癌を併発させたとのことであった。
3か月余りで2回も葬式をだした。

 家族4人の暮らしが始まった。
父は当時、倉敷から1時間ぐらいの玉島の中学校の
教師をしていた。兄は電気工事会社勤務で、現場
勤務。滅多に家には帰ってこなかった。姉は大阪の
大学生。大阪の伯母の処に下宿していた。

 父との二人暮らしが始まった。父が一人で、勤務の
傍ら食事の世話とか、生活の面倒をみてくれた。
 当時51歳の父は、仕事と私の世話で大変だっただろ
うと今つくづく思う。酒好きの父であったが、往年の
酒の飲み方を考えれば、当時は加減してたのか、
おとなしい飲み方だった。
 
 夕方帰宅してから、食事の用意をしてくれる。
惣菜を買って帰る日が多かったと思うが、今みたいに
惣菜が豊富ではなく、コロッケとか天麩羅が多かった。
 遅くなったり、疲れた時は駅前の一膳飯屋に良く言っ
た。

 中学校は弁当が必要であった。ある日、弁当を
開けると、おかずは「めざし」が3匹だった。友人た
ちが、馬鹿にしないで、「俺にもくれや」と、盗られそ
うになった。ある時は、ポールウィンナーを卵焼きの
芯にした、おしゃれな卵焼きが入ってた事もあった。

 そんな日が続いたある日、偶然TVの料理番組で
「おでん」を取り上げていた。今夜はおでんを作って
親父と食べよう。一生懸命作り方を覚えた。

 何でか知らないが、最初にサラダ油を入れ、後は
種物を入れ、水と砂糖と醤油を入れ、ひたすらぐつ
ぐつ煮込むだけ、包丁など使わず、種物だけの
「おでん」。竹輪やハンペンが汁けを吸って、あんな
に大きくなるなんて・・・・

 煮えた頃親父が帰ってきた。
酒を飲みながら、旨そうに食べてくれる。
料理を作ったら、こんなに喜んで食べてくれる。
出汁も調味料も入らないシンプルな「おでん」

 決して、旨くはないのだろうが「美味しい」と言って
食べてくれる。私も「旨い」と言ってすごく食べた。

 料理でこんなに人が喜んでくれる。料理の醍醐味!!

 人の為に為すこと、人が喜んでくれることを為すことが
喜びとなる。大いに喜ぶべし。


余談!!
 書いていて、あっと思ったこと。
父の名前「喜大」(よした)です。お父さんもう少し
長生きしてくれたらよかった。
 介護の世界に入りしみじみ思うことです。

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プロフィール

【名前】
おっちゃんヘルパー
【年齢】
65歳
【一言】
≪絆≫を大事に。
ヘルパーステーション
ケアプランセンター
お結び
お気軽にお問い合わせください。

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